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高校古文はどうしてつまらないか①

  • 執筆者の写真: 家庭教師のMIC
    家庭教師のMIC
  • 2023年4月14日
  • 読了時間: 2分

高校に入ると古文を本格的に学び始めます。

授業の冒頭から動詞、形容詞、形容動詞の活用を覚えさせられ、「はっ?何これ?」と思っているうちに、本文を読み始め、しかも今度は助動詞の活用を全部覚えろだの、無理難題が続きます。 なぜ文法を覚えなければならないのかも説明されないので、楽しいわけがありません。


だいたい、大人になって古文で学んだことが、「ああ、なんて役に立つんだ、古文を学んだおかげで良い人生が送れているなぁ!」と思っている人は、どれだけいるのでしょうか。

なのに、なぜ日本の学校教育では古文を学ばされるのでしょうか。

答えは簡単です。学校教育制度は、リッパな「日本人」を作るためにあるからです。こうやって、日本の文化や言葉、人々はこうこうだと洗脳されるのです。

ところが、この「古文」というくくりには無理があります。それは、奈良時代から江戸時代までの1000年以上の時代にわたる文章を一括して「古文」と称しているからです。江戸時代の「古文」はかなり現代語に近くなってきているのにも関わらず、です。

そんなことを言っても、現在古文で撃沈している高校生には何の役にも立ちません。ですから、少しでも学習の役に立てれば、と、高校古文でつまらない作業をしなければならない理由を書いておきます。


まず、なぜ古文の授業では最初から文法を、特に活用の暗記を迫られるのでしょうか。

それは、現代の日本の国語は、明治時代に、古文を基にして言文一致運動を経て人為的に作られたからです(「お母さん」も明治時代の造語なのだそうです)。そのため、国語と古文は類似点がありつつも(語順等)、活用等は相当に異なっています。

しかし、古文は英語などの外国語とは異なり、日本の国語と全く異なる言語というわけではありません。異なる言語であれば、まず文構造の慣れから習得の作業が始まります。

でも、古文は国語との類似性を持っているので、「慣れ」の段階は高校古文では割愛しています(それが中学校までの授業)。その代わり、国語と全く同じではないことを認識するために「矯正」をしなければなりません。その「矯正」が古文の文法の学習です。

この説明がほとんどなされないまま文法の授業が延々と続くのですから、古文が面白くなくなるのも肯けます。

まとめると、

古文は日本の国語と異なる言語というわけではありません。でも全く同じでもありません。だから、まず活用から始まる文法を学んで、現代の日本の国語とは異なる古文独特の用語法に慣れていってください。


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