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読書の紹介:ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

  • 執筆者の写真: 家庭教師のMIC
    家庭教師のMIC
  • 2020年7月9日
  • 読了時間: 2分

更新日:2020年7月9日

本著は、イギリスでアイルランドの配偶者と暮らす著者が、底辺公立中学校に入学した息子の体験と、息子との対話を通して、イギリスでの多様な人種の存在と、階層化した社会とそれぞれの生き方を描いた作品です。


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日常的に「多文化共生社会」という言葉をついつい簡単に発してしまいます。しかし、こういう言葉を発すること自体が、「多文化共生」ということが、それだけ難しいことを表しています。



著者は、息子さんがいわゆる「底辺」の公立中学校に入学したことで、そうした現実をまざまざと思い知らされます。さらに「多文化」には、富裕層と貧困層の文化の違いがあります。なにより、著者自身が日本という「アジア系」出身なので、イギリス社会で差別的な言葉を沢山浴びてきた経験があります。



一方で、息子さんはいわゆる「ハーフ」。「ダブル」という言い方が最近は適切ともされます。イギリスで異質者扱いされるだけでなく、日本でも日本語が話せないために異質者扱いされます。



本著が面白いのは、著者が息子さんから教わることの多さです。息子さんはカトリック系の「上流」小学校の出身ということもあるのでしょうが、そんな差別と衝突だらけの世間の中で、捻じ曲がることがありません。



そんな著者と息子さんの対話からは、もうすでに始まっている日本における多文化共生社会の実現という難題を先取りしたような問題提起があるように思いました。



「こうだ」という結論はありませんが、非常に考えさせてくれる良書でした。



フランスでは、宗教を公的空間に持ち込まない、という「ライシテ」という原則があります。一方、イスラム教では女性は公共の場でヴェールをかぶって髪をかくす、という教義があります。



さて、フランスの「ライシテ」に即すると、政府が学校でヴェールをかぶることを禁止することが「ライシテ」を破ることになるのでしょうか、それとも学校にヴェールをかぶって行くことが「ライシテ」を破ることになるのでしょうか。



多文化共生というのは、「こうだ」という簡単な結論が見つかるものではありません。「相互理解」というのは、相互に相手に理解できないところがあることを知るところから始まる、と私は思っています。

 
 
 

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