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自己肯定感が高ければ、「成功」するのか?

  • 執筆者の写真: 家庭教師のMIC
    家庭教師のMIC
  • 2021年10月24日
  • 読了時間: 6分

更新日:2022年10月9日

最近、「自己肯定感が高ければ、成功します。だから子供は褒めましょう。」という言葉が教育界で溢れています。


さて、これは「真理」でしょうか。



そもそも「成功」とは何でしょうか。



現在では最も偉大な画家だと認められているゴッホを例に挙げてみましょう。


ゴッホが描いた絵画は、実は生前には親族に1枚しか売れていません。そればかりか、ゴッホは精神疾患を患っていたようで、常に収入に困っており、実弟に生活を頼っていました。最後には拳銃自殺をしたとされています。


ところが、現在ではゴッホの絵は時には1枚100億円を超える値段で取引されています。


さて、ゴッホは「成功」したのでしょうか。



次にヒットラーを例に挙げてみましょう。


ヒットラーは画家の道を目指すも美術学校に不合格で、第一次世界大戦で兵卒として戦った経験から民族主義の活動に加わり、ドイツの大総統にまでなったことで、世界でも稀に見る権力と金銭を手にし、当時は全世界で彼は賞賛されていました。


ところが、第二次世界大戦を引き起こして、最後は連合国に追い詰められ自殺し、現在ではユダヤ人大虐殺の元凶として絶対悪のシンボルとされます。


さて、ヒットラーは「成功」したのでしょうか。



こうして見ると、「成功」というものには、他人の評価によるところが大きいです。しかも、時代の移り変わりによってその評価は変わります。


さらに偶然の事態によって、その評価は大きく高下することがあります。必ずしも自身の努力によって決まるものではありません。また、「成功」していたと思われた人物が、晩年に事故や事件で大きく評価を下げることもあります。


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教育業界で、「自己肯定感が高ければ、成功します。だから子供は褒めましょう。」という言葉がもてはやされるのには、2つの背景があります。


1つ目は、「良い学校に入って、良い会社に入れば人生は安定だ」という、高度経済成長期から続く考え方です。


ここには「良い会社に入れば、高収入を得られる」⇒「人生の成功」という、暗黙の了解があります。でも景気には波がありますし、今うまくいっている会社が将来うまくいく保証はどこにもありません。


2つ目は、要するに親が褒めるかどうかで成績は決まります、成績が低ければ親の褒め方が足りなかったのです、という、「親ガチャ」論です。いわば教育業界の親への責任転嫁です。


もし褒めたら成績が上がる、というのであれば、先天的に知能指数が低い子供も、褒めれば知能指数が上がるのでしょうか。そんなはずはありません。


そもそも褒めただけで成績が上がるのなら、学習支援業は不要です。


また、何でも褒める、ということも危険です。ヘイト行為を褒められたら、褒められた人がどのような行動に出るのかは、歴史が教えてくれているところです。やはりダメなものはダメなのです。叱るべきことは叱らなければなりません。


さらに、歴史を紐解いてみると、コンプレックスが強いことがモチベーションになり、他を見返そうとして努力を重ねて成果を出した人も多くいます。コンプレックスから勉学に励み、学業成績を向上させた人の例も数少なくありません。


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私は、「褒める」ことや、「自己肯定感」自体を否定するつもりはありません。そうではなくて、「自己肯定感」と「成功」を分けて考えて欲しい、と思うのです。


自己肯定感が高い、ということは、自分の現状に満足でき、それだけに自分を他者と比較せずに物事に取り組めるということです。もしかすると、成績が低くとも自己肯定感が高ければ、多幸感があるかもしれません。


それに対し、「成功」というのは、本人の努力だけでなく、その時代の潮流、他人の評価、偶然(核ミサイルで人類が1時間以内に滅亡する可能性は、常にあります)などによって左右されます。


そもそも、自己肯定感と好成績との因果関係はあやふやです。好成績を収めて他人よりも優位な位置を占めたり、宝くじで一攫千金に成功したりすると、自己肯定感は高まります。つまり、自己肯定感は「原因」ではなく、「結果」かもしれません。


このことから分かるのは、他者より優位であると認識した時も、人は自己肯定感を高めるということです。


ですので、児童生徒に「成績のために」自己肯定感を求めると、求められた側は他者へのいじめを行ったり、他者を蹴落とすことで自らの自己肯定感を高める可能性とてあります。1990年代からの新自由主義の横行による「勝ち組」という言い方は、まさにそのようにして形成されました。


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そういうわけで、「自己肯定感を高めれば、成功する。だから褒めなければいけない。」という考え方には相当な危険が潜んでいます。


そうではなく、自己肯定感とは成績とは関係なしに、自身がどのような状態であれ、生きていくために必要なものではないでしょうか。


たとえ成績が良くなっても、その分他者をいじめたり蹴落としたりするのであれば、常に他者からいじめられたり蹴落とされたりする不安に内心怯えながら生きていかなければならないでしょう。たとえ高収入を得たとして、内心怯えた人生が「成功」と言えるでしょうか。


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保護者の方にお願いしたいのは、社会でのルールを鑑みた上で(虐待に相当する行為は厳禁)、叱ったり褒めたりする基準を作っておいて、児童生徒に対して一貫してブレない対応をすることです。そうすれば、児童生徒はその基準に従うなり反抗するなり、自らの生き方を探し出せると思います。


しかし、保護者が一貫しない態度で児童生徒に対応~つまり、同じことをしても褒めらることも叱られることもある~をしていれば、児童生徒も一貫しない生き方をしてしまい、自己肯定感も培われないでしょう。そうなると、例え良い成績を取り、「いい学校」に行ったとしても、成績だけでなく様々な価値で判断される社会に出た際に、当惑してどう生きればよいか分からなくなってしまうでしょう。


社会に出た際に当惑するのは、程度の差があれ誰もが味わうことかもしれません。しかし、ブレない家庭というのは、安心して逃げられる場所ということです。安心して逃げれる場所があれば、例え挫折しても再起を図れるでしょう。


ですので、保護者の方には、児童生徒に対する一貫した態度と、安心して逃げられる場所の確保をお願いしたい次第です。


たとえ他人から見て「成功した」と見えていても、本人は幸せだと思っていない場合もありますから、他人が「失敗した」と見ていても、本人は幸せだと感じていることが最も大切なのではないでしょうか。


「成功した」と思われている人が晩年に挫折することがあるのならば、「失敗した」と思われている人が幸せに晩年を迎えることもあるでしょう。それを左右するのが「自己肯定感」であり、そのために「褒める」ということも必要になるのだと思います。



私は、児童生徒が私と一緒に学ぶ時間が、その「幸せだ」と感じられる時間に感じられるように心がけ、他人と比較せずに学習に取り組め、学習自体に「幸せ」の瞬間を見つけられて、結果的に成績が伸びるように心がけたいです。


何よりも、学習に取り組んでいる自分の姿を好きになれるという意味で「自己肯定感」を身に付けて欲しいですし、そのためには「褒める」こともしたいです。


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