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私がスーツを着ない理由

  • 執筆者の写真: 家庭教師のMIC
    家庭教師のMIC
  • 2020年3月10日
  • 読了時間: 2分

更新日:2020年3月10日

私はスーツを着て授業をすることは、まずありません。


それにはきちんとした理由があります。


第一に、面倒だからです。

ごめんなさい。だって、クリーニング代は安くないんだもん。経費とか計上するの面倒だし、大体まだ会計処理分かっていませんから。


第二に、児童生徒さんとの間に「壁」を作りたくないからです。

これは、東京の練馬区の個別指導の塾で指導していた時に、塾長から学んだことです。


スーツを着て面接に臨んだ私に対して、塾長は「私服で来てください」とのこと。なぜですか、と尋ねると、「個別指導で子供との間に『壁』を作ってどうするの?」と仰いました。


スーツは「大人」であることを強調します。そのことは決して悪いことだとは思いません。例えば集団指導であれば、私も「大人」であり、上下関係をはっきりさせて、児童生徒さんに「聞く」ことを求めるために、スーツを着るでしょう。


しかし個別指導に来たり家庭教師を頼んだりする児童生徒さんは、集団指導になじめない特殊な「なにか」を抱えていることが多いです。スーツを着た「大人」に対して従順な「良い子」を装われると、その「なにか」が見えなくなってしまいます。


ですので、私は家庭教師をする際には私服で授業をし、児童生徒さんが「良い子」を装わずに自分をさらけ出せるようにしています。そうでなければ、特殊な「なにか」が分らないので、結局は成績を伸ばすのに障害になっている原因も分からないからです。


第三に、外見だけで人を判断するように育って欲しくないからです。

人が他人を判断する際に、ほとんどの場合において「何をしているか」とか「何を話しているか」で判断していません。「どんな装いをしているか」で判断しています。特に外見で。



(奇妙に感じるのが、学歴が高い人ほど「何をしているか」に注目しない気がします)


その究極的な例が、映画『小さな独裁者』で描かれたヘラルド事件です。脱走兵が将校の制服を手に入れて、虐殺事件を起こしました。



人は、多くの場合「装い」に盲目的に従順し、判断力を失ってしまいます。


ですので、私はあえて「装い」を捨てます。

私は「装い」を捨てて、自分の言葉だけで教育に挑戦しています。そうでないと、私自身が「装い」に従順になっている「良い子」を目の前にして高慢になり、自身が学ぶことを忘れてしまいますから。


その代わり、児童生徒さんには自分で考えて行動する判断力を身に着けて欲しいのです。


そう言いつつも、人々が納得するのは、理由を3つか5つにした場合だそうで、私もここで「装い」をしているのです(笑)。


 
 
 

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