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発達障害と家庭教師(修正再掲)

  • 執筆者の写真: 家庭教師のMIC
    家庭教師のMIC
  • 2024年9月17日
  • 読了時間: 3分

発達障害の児童生徒を、私も複数担当しています。




一括りにして「発達障害」と言っても、様々な状態があります。単に「ふつう」とみなされている脳神経の動きから逸れている人たちを「発達障害」と呼んでいるだけですから。



とりわけ、近年は「ふつう」の範囲が狭まっていますので、「ふつう」から逸れる人は増え続けています。例えば、昔は路上でお絵描きをすることは「ふつう」の遊びでしたが、現在は許されません。「ふつう」から逸れる人たちには苦しい時代が訪れています。




と、高邁ぶっても、実際に対応するのは大変です。



なぜなら、そもそも学校教育での学習が「ふつう」を前提に作られているからです。発達障害と診断された児童生徒は、その「ふつう」の前提が欠けているので、当然ながら学習についていくのが大変です。それどころか、学校に通うことや教室にいること自体が困難な児童生徒もいます。



反対に、学校教育での課程をはるかに飛び越してしまう学習能力を発揮してしまうために、周囲とうまく折り合えない児童生徒もいます。




発達障害によって学習について行けない児童生徒たちには、遅くとも小学校高学年くらいに理解のある家庭教師をつけることをお薦めします。近年の小学校での教育内容の肥大化によって、大概小学校高学年で学校での学習内容についていけなくなっているからです。



個別的な対応が必要なので、それなりに学校教育の現場でも対応は図られています。しかし、残念ながら日本の横並びの教育制度の原則は変わっていませんし、なにしろ個別的対応を図ろうにも学校教育の現場では人手不足なので、期待できる部分はわずかです。



一方で、家庭教師の側も「ふつう」ではない児童生徒には、その児童生徒の特性を徐々に把握しつつ、様々な模索をしながら対応を考えなければなりません。つまり「ふつう」ではない児童生徒を指導する際には時間が必要ですので、早期に家庭教師をつけて欲しいのです。




多く見られるのは、発達障害の児童生徒への教育を、有名塾や通信教育など「ふつう」を前提とした学習産業に頼ってしまうことで、結局成果は出ず、児童生徒の自尊心を損ない、入会金や教材費など金銭を無駄にしてしまうケースです。



とりわけこれが高校受験期を迎える中学生ですと、このころから家庭教師を担当すると、生徒は第二次反抗期を迎えていて(これだけはしっかりと「ふつう」に迎えます)、学習面だけではない対応を迫られることが多いです。大概はカバンの中の古文書発掘から始まりますから。




ただし、成績が芳しくない発達障害の生徒さんは、「ふつう」に比べて問題があると周りから認識してもらえるだけ幸せかもしれません。



成績が優秀な発達障害の児童生徒であると、それだけで「問題がない」とされてしまう傾向があります。そのために、社会人として自立して生きていく上での問題点、特に対人関係の構築が看過されてしまいます。その結果、社会に出てから挫折する人も少なくありません。




ここで言いたいのは「発達障害」=「社会の問題児」ということではありません。そうではなく、「ふつう」ではいられない児童生徒たちに、周りの大人たちがアプローチする必要性を訴えたいのです。



家庭教師の中にはそういう役割を果たそうとする人もいます。確かに塾に比べるとお金はかかりますが、きちんと面倒を見る家庭教師であるならば、保護者の負担の軽減や児童生徒の将来にわたる生きやすさを鑑みた際に、その価値があるでしょう。




ただし注意してほしいのは、次のような家庭教師は、確実に発達障害の児童生徒には向いていません。

・「努力しろ」とばかり言い、成績の悪さを児童生徒の自己責任に求める。

・児童生徒の様子をしっかりと観察せずに、自説ばかりを押し付ける。

・指導と称して怒鳴る。

・発達障害について全く学んでいない。



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