発達障害が増えるわけ③:現代における社会の変化
- 家庭教師のMIC
- 6月3日
- 読了時間: 4分
発達障害が増えているのには、社会の変化によって、発達障害と認識(カウント)される人が増えていることも挙げられます。
現代社会では、社会通念、つまり「あたりまえ」が急速かつ大幅に変化しています。
最近の分かりやすい例を挙げると、LGBTQの扱いです。
2000年代初期までは、男性と女性は対にならなければならない、という社会通念が非常に強かったです。
ところが、2010年代に性的マイノリティの人々の主張が受け入れられ始めました。
2020年代には、恋愛や婚姻の関係は1人の男性と1人の女性の間で生じるものとは限らず、多種多様な性的な自己認識を持った人々が、多種多様な恋愛や婚姻の関係を結ぶことが、社会で広汎に受け入れられるようになり、裁判所も肯定し始めています。
つまり、ほんの20年前までは「異質」とされていたことが、現在では「あたりまえ」となっています。
別の例として、喫煙を挙げてみましょう。
昔のことを描いた映像やマンガ、アニメなどを見ると、昔の映画館では喫煙をしているシーンがよく見られます。また、飛行機でも喫煙が許されていました。仕事場にはタバコの煙は欠かせませんでした。
20世紀においては仕事場も生活空間も、タバコの煙に満ちていました。
21世紀に入っても、ほんの20年前までは電車には喫煙車がありましたし、ほんの10年前までは飲食店の中でも喫煙できました。
ところが昔は「あたりまえ」と見なされていたこのような喫煙習慣は、現在では「異常」です。
「あたりまえ」や「ふつう」は時代と共に変遷するものです。
ところで、時代を経るにつれて、子どもの教育と成長をめぐる問題点が事細かに指摘され、社会のルールもそれにより修正されてきています。
それにより、子供がより安全な環境で育つことができるようになったことは間違いがありません(特にいじめの問題)。それだけ社会が進歩したと言えます。
一方で、子どもの安全のために大人が子どもの世界に深入りするようになり、子どもの世界を規定してしまっていることも否定できません。そのために、昔はやりたい放題であった子供たち=クソガキ=の存在が許されなくなり、現在では「良い子」になる要求が強くなっています。
もちろん教育の研究が発展していますから、子どもが「良い子」から外れないようにする対策も向上しています。ですから「良い子」はどんどん増えています。
でも、それだけに先天的な問題によって「良い子」になれない子供たちが目立つようになっています。だからこそ、発達障害の児童生徒の認識(カウント)数が増えているように感じます。
分かりやすい例を出しましょう。
『ドラえもん』で、オモイコミンという薬を使う回があります。この回ではのび太がブロック塀を歩けないというコンプレックスを、薬を飲むことでブロック塀を畳のへりだと思って克服します。

このことから分かるのは、昔は子どもがブロック塀の上を平気で歩くことが「ふつう」だったということです。むしろブロック塀の上を歩けない子どもの方が「異常」でした。
しかし現在ではブロック塀の上を歩くような児童生徒は「異常」と見なされます。当然ながら、現代的には危険だからです。
これは、危険を排除して安全を優先するにつれて、「異常行動」が増えていく良い例です。
すなわち、昔は子どもはクソガキであるのが当然視され、子どもの「ふつう」と思われた行動が、現在では「異常行動」に見なされる例が増えているということです。
ここで発達障害の児童生徒の問題に戻ってみましょう。
発達障害の児童生徒は、「ふつう」の行動が中々できません。しかし、昔はクソガキが満ち溢れた世界でしたから、発達障害の児童生徒はそれほど目立たないどころか、その行動は「ふつう」と見なされていた部分があります。
しかし現代社会では、育児や教育についての研究が進み、より子どもを安全成長させる知識と技術が培われたために、クソガキの行動は「ふつう」ではなく、修正すべき「異常」になりました。
そのために、昔は「ふつう」と見なされていた発達障害の児童生徒の行動も、現代では「異常」と見なされる傾向が強まっている側面は、確実にあります。

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