発達障害が増えるわけ④人類史からの視点
- 家庭教師のMIC
- 6月4日
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今回は人類史からの視点から発達障害について考えてみます。
私たち人類、すなわちホモ・サピエンスが登場したのは、少なくとも20万年前の旧石器時代です。ところが、人類はこの20万年前から特段の進化を遂げていないそうです。そればかりか、ここ1万年くらいは脳の容量が減っていると指摘する研究者もいます。
私たちは旧石器時代から生物としては変化していないようです。
そこで20万年前の人類の生活を考えてみましょう。
まず、文字がありません。ですので、識字障害や書字障害がありません。また、計算の概念もないので算数障害もありません。つまり、学習障害(LD)は旧石器時代には存在しておらず、現代特有の障害であると言えます。
人類史を考えると、文字を書くことよりも絵を描くことの方が、コミュニケーション手段としては早く生まれ、長い歴史を持っています。
それに比べ、文字や数学の歴史はせいぜい20万年の内の5000年ほどに過ぎません。文字や数学は20万年の人類史の中に位置づけると、最新技術の1つなのです。
また、20万年前にはデスクワークがありません。ですので、じっと座って作業ばかりしている人は、「使えない」ばかりか、野生に襲われて生き延びることができません。
むしろ、生き延びるための狩猟や採集においては、「時には」活発に動くことも求められます。
現代では虫が歩いていた李飛んでいることを一々気にする人は、感覚過敏とされます。
しかし現代においてさえも、人間を一番殺しているのは蚊という虫なのです。ましてや先史時代には何らの薬もありません。
ですので、先史時代においては野生の敵に過敏に反応する個体がいた方が、種の生存確率が高かったのではないでしょうか。
旧石器時代ともなると、その名称のとおり、石器を初めとする道具を作り始めています。
しかし、機械が存在しない当時の道具作りは、延々と地道な反復作業を繰り返す根気が求められます。
そうなると、現代社会でもとめられるような「切り替えの良さ」よりも、「こだわりの強さ」が生かされる場面は相当に多かったのではないでしょうか。
つまり、現代では「発達障害」とされる人々が、もしかすると旧石器時代には人類が種を残すために重要な役割を果たしてたのかもしれません。
人類の「進化」において決定的な役割を果たしたものの1つに、火の利用があります。
おそらく人類が最初に利用した火は、山火事などの自然発火で生じた火だったでしょう。
でも、その火を最初に手にした人はどんな人だったのでしょうか。
その人が、社会のルールをしっかり守る人だったとは思えません。自らの身体への危険をもたらす火を自分のものにしよう、などと考えるのは、社会のルールの逸脱者です。もしかすると、当時の社会で疎まれていた人だったかもしれません。
でも、その疎まれ者が火の利用を習得すると、翻って称賛された可能性もあり得ます。
さらに、どんな人が最初に火を起こしたのでしょうか。
周りの人たちが狩猟や採集にいそしんでいる中で、ひたすら熱を起こすことにこだわり続けて木の棒をこすり続けたり、石を打ち続けたりしている人も、火を起こす技術が無い社会では、これまた社会のルールからの逸脱者で、疎まれていたのかもしれません。
でも、その疎まれ者が火を起こすことに成功すると、翻って称賛された可能性もあり得ます。
言いたいことをまとめると、次のようになります。
旧石器時代にも現代での発達障害は存在したはずです。しかし、旧石器時代にはその特性は障害(そんな言葉は当時は無かったでしょうが)と見なされなかったものも相当に多かったでしょう。
そればかりでなく、発達障害の人たちが持つ特性は、過酷な自然環境に人類が適応して生存空間を広げる上で、重要な役割を果たしていた可能性もあるのではないでしょうか。
なぜなら、人類の「進化」において突破口を開いた人々には、どこか発達障害の特性が無ければ説明できない部分があるように思えるからです。
ところが、人類が過酷な自然環境での生存空間を広げるにつれて、今度は人類は過酷な人間の造る社会空間での適応を求められるようになります。
学習障害が分かりやすい例で、自然環境での生存空間では存在せず、社会環境での生存空間においてのみ存在します。
しかもその社会環境は著しいスピードで変化し続けているので、これに適応するのが困難な人々もまた確実に生まれ続けます。
すなわち発達障害には、人類が自然環境以上に社会環境への適応を求められるようになった結果、生まれ続けている側面もあると考えられないでしょうか。

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