top of page
ブログ: Blog2

男子だから/女子だから、の成績?

  • 執筆者の写真: 家庭教師のMIC
    家庭教師のMIC
  • 2022年9月28日
  • 読了時間: 3分

ついつい、「男子だから」「女子だから」成績がああだこうだ、と言いたくなってしまうことがあります。しかしよく考えてみると、これもジェンダーバイアスなので、自己嫌悪に陥ります。



実際に男子と女子で得意な教科には偏りがあるように感じます。英・国と社会の公民は女子、理・数・社会の歴史は男子、と。あまり地理に関しては男子と女子の成績の偏りの差は感じません。



でも、それも生徒が男子だから、女子だからと考えるべきなのか、疑うべきではないかと考えています。なぜなら、そもそも学校でならう教科自体がジェンダーバイアスで作られている部分が少ないからです。



典型的なのは歴史です。歴史の教科書で登場する人物は圧倒的に男性が多いです。政治権力の変遷は、どうしても支配層は男性優位の物理的暴力の力学で決まりがちです。それは現代においても基本的に変わりはありません。なぜなら政治権力やそれによって作られる国家は、基礎が男性的論理で成り立っているからです。



ですので、政治権力の推移を中心に見据えた歴史の論理は、当然ながら男性の論理なので、女子よりも男子の方が歴史に興味を持つ「傾向が強い」のは当然でしょう。



一方で興味深いのは国語です。日本では、平安時代にすでに女性の物書きが存在していました。武家政権の時代になってから目立たなくなりますが、文学(当時はそんなものはないですが)の世界では長い女性の活躍があります。そうなると、国語という教科は歴史に比べると、女性的論理も取り入れられているので、受け入れやすいという女子が多くなる「傾向が」強くなっても不思議ではありません。



話を戻すと、学校教育というのは、国家の権力作用で作られています。ということは、全ての教科が男性優位の国家や学界の権力作用で作られています。ですので、良い成績を取るということは、誰であっても男性優位で作られてきた論理をひとまずは受け入れなければできず、さらに男性優位社会で社会的地位を築くためには、男性優位の社会に相当程度身を任せなければなりません。往々にしてエリート女性が「準男性」と称されることがあることも肯けます。



これに加えて「男性はこうあるべき」「女性はこうあるべき」というバイアスが、学校の制服を始めとして沢山あります。そんな中で、男性優位社会で作られてきた「こうあるべき」という規範にうまく乗ることができなければ、男子であれ女子であれ、その他のジェンダーであれ、息苦しくて成績どころではありません。



そればかりか、教科書の中にも「こうあるべき」の罠が待ち構えています。さきほど女性活躍の長い歴史に裏打ちされていると指摘した国語でも、結局は教科書に掲載されている文章の8割の著者が、男性なのです。



ですので、「男性的」なもの(男女を問わず)にとって有利なように、偏差値秩序は作られていますから、自身のジェンダーを女子と自認する生徒の方が、同じ成績を獲得するのに断然障害が多いです。



もっとも、LGBTQの運動のおかげで、近年相当に「こうあるべき」という規範は、前向きな方向で緩やかになってきたと肌で感じます。



学校の教科に隠れている「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」という性役割の規範も緩やかになり、男女で縛り付けて個々人の能力を抑圧するような既存の学校教育が修正されて行くことを期待してなりません。


ree

 
 
 

コメント


宮城県仙台・富谷・大和・利府・大郷
家庭教師のMIC

bottom of page