児童生徒の学校の成績は読書量にも左右されることは、よく指摘されます。そのために児童生徒が読書をしていないと、保護者の方は本を買ってきて児童生徒に与え、「読みなさい」と言って読ませようとしたくなります。
その結果は……読まない。ということが、往々にしてあるようです。
一方で、保護者の方が「読みなさい」と言わなくとも本を読みたがる児童生徒もいます。時には、保護者の方が「読むのを止めなさい」と叱るほど読む児童生徒さえもいます。
この差は一体どこから生まれるのでしょうか。
児童生徒を指導をしていて感じるのは、児童生徒が文字を好んだり、あるいは文字に抵抗感を持ったりするのには、生まれつきの個性の差も影響している、ということです。
特別に訓練を受けたわけでもないのに、すらすらと文章を読める児童生徒もいれば、幼少期から読み聞かせを施されていても文章を読むのを嫌う児童生徒もいます。
ここで留意したいのは、文章を読む能力は、生まれつきの能力ではない、ということです。
人類は生物としては石器時代から大した進化をしていないそうです。その石器時代には文字はありませんでした。数十万年の人類の歴史を考えると、文章を書き、文章を読むことは、最新技術の1つです。
ですから、最新技術の文字に追いつけず、文章を読むのが苦手な児童生徒がいることも、その意味では当然のことです。
では、児童生徒が文字や文章を嫌っている場合に、保護者の方にできることは無いのでしょうか。
私は、あると思います。
それは、保護者の方が読書を楽しむことです。
「子供は親の背中を見て育つ」と言いますが、どうも児童生徒の興味関心というのは、保護者の方が好き好んでやっていることに向いているように見受けられます。
「得意か苦手か」ということと、「好きか嫌いか」ということは、また異なります。
生まれつきの特性で読書が苦手であっても、親が好き好んでやっていることであれば、好きになる可能性があります。
誰しもが経験があると思いますが、好きなことに向かっていると、困難があってもそれを克服してしまいたい気になります。
また、保護者という、児童生徒にとって一番の模範となる人が読書を当然のたしなみとしていれば、児童生徒も読書を当然のこととして受け止めて、そのたしなみを身につけようと努力する可能性が高いでしょう。
ですから、まず大人が読書を楽しみませんか?
もっとも読書をすることは、児童生徒の教育のためだけにするものではありません。
読書は大人自身の生活を精神的に豊かにしてくれます。
さらに大人の精神的生活が豊かになれば、児童生徒に接する際にも余裕が生まれるのではないでしょうか。