中国での学習塾の規制から考える
- 家庭教師のMIC
- 2021年8月14日
- 読了時間: 4分
先日、中国から次のようなニュースが飛び込んできました。
「中国共産党と国務院(政府)は24日、義務教育をうける小中学生向け学習塾への規制策を公表した。新規開業の認可をせず、既存の学習塾は非営利団体として登記させる。塾の費用も政府が基準額を示して管理下に置く。」
「インターネット授業を手掛ける学習塾はこれまでの届け出制から許可制に切り替える。学習塾の株式上場による資金調達を禁じる。外国企業が買収や経営受託で学習塾の経営に参画することも認めない。」
「今回の規制策は、小中学生への過剰な宿題も是正する。小学1、2年生に筆記式の宿題を出さないようにする。宿題量の目安として、同3~6年生は1時間、中学生は1時間半を超えないようにする。代わりにスポーツや読書、文化活動を促す。」
とのことです。
中国の当局がこうした規制を敷いた理由として、『日本経済新聞』は、教育費の高騰を抑制することで少子化に歯止めをかける狙いがあることを挙げています。
また、別のニュースでは、教育費の高騰に対する庶民の不満をくみ取り、共産党への支持を獲得するため、とも指摘されていました。
塾規制の背景に、こうした問題意識があることは、間違いないだろうと思います。ただし、少子化対策と共産党への支持の獲得という理由だけで、今回のような学習塾規制がなされるとも思えません。

というのも、規制をするエリート層は、これまで激しい受験競争を勝ち抜いてきた人々によって構成されているからです。つまり、学習塾の存在から恩恵を受けてきた側です。
そんな学習塾から恩恵を受けてきたはずの人々が、学習塾の規制に乗り出しています。ということは、学習塾の恩恵を受けてきたはずの人々が、その「恩恵」に疑問を抱いている、ということではないでしょうか。
さらに、中国はインターネットを駆使して国民の一挙一動を監視する一党独裁の国家であり、世界で最も、AIを使って国民の情報を蓄積し、分析しています。
仮に、激しい受験競争とによって形成された人材が活躍している、という情報の蓄積と分析の結果が出ているのであれば、こうした学習塾の規制は有用な人材の育成を阻害し、国家の競争力を損ないかねなません。
ということは、過度な受験競争での人材形成は、必ずしも将来活躍する人材を形成するのに適切ではない、という結論が導かれた、ということでもないでしょうか。

興味深いことに、過度な学習の替わりに奨励されているのが、読書やスポーツです。つまり、学校での主要教科以外の活動に価値が見出されています。
これらの活動は、AIの発達により従来のホワイトカラーの役割が大きく変化し、事務処理能力よりも、想像性/創造性の役割が大きくなる中で重視されつつあるものです。様々な芸術に触れることもこの中に入ります。
ですので、中国での学習塾規制には、こうした将来的な人材育成の観点も入っているのではないか、と勘繰っています。
もちろん、これは中国という一党独裁国家でのことです。国家が国民の情報を一挙一動全て監視することというのは非常に問題です。そんな監視社会において、国民はこうすべきだ、と結論付けられ、国家により個々人の行動を限定されることには、恐怖すべきです。
そもそも言論や思想信条の自由が保障されない国家で読書を奨励したところで、読書の本当の価値がどれだけあるのかも疑問です。
また、市場経済を導入しながら、突然教育産業に対して規制をかけるというのも、市場経済の原理を無視しており、中国内外の投資家の懸念を招いています。
ただ、それでも(それだからこそ?)将来を先取りするような今回の決定には、参考にすべき点があると思います。
知性とは、何も学校での教科書とワーク、ペーパーテストに限られるものではありません。
教科書やワーク、ペーパーテストは、私たちの日常生活を支える様々な知性をまとめたものに過ぎません。それだけに、日常生活全般において、教科書やワークだけに捉われず、様々な物事に携わることで知性を身に付けておくことが、教科書やワークの理解につながり、ペーパーテストの結果にもつながります。
さらに、様々な物事に携わることは、教科書やワークで学んだ知識を、想像と創造を加えて知恵へと変化させて、豊かな生活を築く上で役立つものになるでしょう。
まとめると、言いたいことは次のことです。
ペーパーテストの結果も大切ですが、ペーパーテストだけが知性を代表するわけではありません。学校の教科書やワーク以外の様々な物事に携わることは、ペーパーテストの結果にもつながりますし、それを超えた知性を養うことにもつながります。
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