ゲーム/スマホ依存症について(修正再掲)
- 家庭教師のMIC
- 2024年8月17日
- 読了時間: 3分
以前、ある答申書を読んでいて、子どもがゲームをやりたがっているのを、むやみに止めてはいけない時もある、と知りました。状況によっては、子どもがゲームやスマホに向かっているのは、他に居場所が無くなり、そこが最後の砦である場合もあるからです。
そうはいっても、児童生徒が学習せずにゲームやスマホに熱中していれば、保護者の方の気持ちは落ち着かないものです。
ゲームやスマホへの依存症かどうかは、日常生活に支障が出るほどゲームやスマホに向かっているか、が基準になります。
忘れてはならないのは、ゲーム・スマホ依存症も、他の依存症と同様に、当事者の精神衛生上に何かの問題がある結果生じているサインの可能性「も」高いということです。
特に、現代のスマホもゲームもネット上で他の人たちと繋がることができます。そのため、スマホやゲーム自体というよりも、ネット上で他の人たちと繋がることを求めてこれらに没頭する場合があるようです。
その場合には、何らかの理由で現実世界に居場所がないので、ネット上に居場所を求めていることが考えられます。
つまり、
「ゲーム・スマホ」→「学習ができない」
なのではなく、
「学習ができる状況にない」→「ゲーム・スマホ」
の可能性「も」高いのです。
もし、学習をしていても自分の居場所を感じられているなら、ゲームやスマホに没頭せずに済むはずです。
そこが家庭教師に問われる力量で、出来る範囲でゲームやスマホに依存しなくてもよい環境を整える努力をすることが肝要です。
しかし、これは一筋縄ではいきません。なぜなら、ゲーム/スマホ依存症になる原因には様々な要因が絡んでいるからです。
一方で、無理強いしてゲームやスマホを止めさせることは、依存症患者に対して効果的ではありません。
ただし、他の依存症もそうであるように、依存物質そのもの自体も当然依存の原因になります(薬物、アルコール、ニコチン等々)。
テレビ(番組による)、ゲーム、スマホなどを長時間利用していると、これらは人間が反応しやすい短期的反応を刺激するので、常に刺激を求めて落ち着きを無くすようになる、という研究結果もあるそうです。
たまに、今の生徒たちに必要なのは、電波の届かない田舎のお寺に行って、1週間くらいお勉強もせずに、ただひたすら生活してくることではないか、と思ってしまうことがあります。いや、生徒たちだけでなく、大人たちもなのかもしれませんが。
そういえば曹洞宗の開祖の道元は、中国に留学した際に、修業とは生活することだと学び、日本に帰ってきてから和食の端緒を作りました。
ゲームやスマホ依存症の児童生徒には、「勉強しろ」と言うよりも、日々の生活をちゃんとちゃんと過ごす習慣を少しずつ身に着けさせることの方が大切かもしれません。

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