「絶対に」は保証しません
- 家庭教師のMIC
- 2020年3月22日
- 読了時間: 2分
学習支援産業では、往々にして「絶対に成績が上がります」「絶対に合格させます」という謳い文句を掲げます。
私は、「絶対に」は保証しません。
以前、成績が低迷している、腰痛に悩まされている中学生を担当しました。しかしその生徒さんは、2回の授業の後に、腰痛の原因が髄液の病気であることが判明し、即刻入院しました。
「絶対に」なんて保証できません。
人間みんな異なります。どの指導方法が適切なのかは、児童生徒さん一人一人によって異なります。
もし「絶対」な指導方法があり、それによって誰もが「絶対」な人間になったとしたらどのような社会になるでしょうか。
それは、同じ思考と行動をするクローン人間だらけの恐怖の社会になります。
大谷翔平選手だらけの野球チームが対戦していたら、野球をすることや野球観戦は楽しいですか?
もし「絶対」な指導方法があり、それによって誰もが「絶対」な人生を歩めるとしたらどうなるでしょうか。
毎日ハッピーしかない絶対的な人生って楽しいんでしょうか。目の前の小さな幸せを見逃して、あらたな「刺激的な」ハッピーを脅迫的に求め続ける人生になってはしまわないでしょうか(「いいね」を押され続けなければ生きていけない人生ですね)。別の意味で「ハッピー」な人生だとは思いますが。
私の家庭教師でのアプローチには、人生には「絶対」が保証されず、「苦」は必ず伴うものだからこそ、楽しみもあり、その楽しみの一つは「学び」の中にある、という前提があります。
「分からない」ことは決して悪いことではありません。「分からない」ことがあるからこそ「学び」があります。もし、何でも分かってしまっていたら、人生はそれこそつまらないものではないでしょうか。楽天イーグルスに毎日勝利が保障されていたら、毎年優勝が保障されていたら、応援に行きませんよね。
ただ、私は児童生徒さんに「学び」の中に「小さな楽しみ」を発見してもらうよう努力し、その後の苦楽が常に伴う人生においても、「学び」という「小さな楽しみ」を常に見つけて生きがいにしてもらいたいな、と思っています。
昨年の水害で、大郷町に何度かボランティアに行きました。その際印象的だったのが、社会福祉協議会の9割を占める女性スタッフが、当初は何も分からずおろおろしていたのに、次第にトラックを運転を覚え、重量物の多い災害ゴミの搬出でも大いに活躍していたことでした。未曽有の事態にも関わらず、様々な物事を学習し、次のことに挑戦する姿には、実に敬服いたしました。

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