「こだわりが強い」ということ
- 家庭教師のMIC
- 2021年2月12日
- 読了時間: 3分
発達障害の特徴として「こだわりが強い」ことが挙げられていて思いあたったのは、いつから「こだわりが強い」ことがマイナスイメージになったのか、ということです。
今でも「こだわりが強い」ことは必ずしもマイナスイメージで語られるわけではありません。「プロ」と呼ばれる職業で、特に個人業の人たちは、その「こだわり」を突き詰めているからこそ、「プロ」と呼ばれます。
そうなると、そうではない職業の人々は、むしろこだわらないことが求められる世の中になっているのかもしれません。つまり、多くの業務がマニュアル化され、そのマニュアルに黙って従うことが求められる割合が増えているのではないでしょうか。大規模チェーン店のサービスがまさにそうです。
特に原題は、経済効率を最優先にし、中間層を没落させた、新自由主義の思想とIT化が全世界を覆ったことで、何かにこだわって寄り道して生きてしまうと、一気に経済的に没落しかねない社会になっています。そんな状況では、「マニュアル」に黙って従い、何にもこだわる余裕が無くなっているような気がします。
でも、東日本大震災やコロナ禍で思い知らされたように、人生にはマニュアルなどはないので、「こだわらない」こともほどほどにした方が良いようにも思います。マニュアルに黙従しなければならない、というのも、また一種の「こだわらない」ことへの「こだわりが強い」ことです。
それはさておき、教育に関して言えば、日本ではいまだに年齢ごとの画一教育の制度が採用されています。そんな教育制度を前提にしているので、当然ながら学校での教育内容も極めてマニュアル化されています。
発達障害の児童生徒の「こだわりが強い」ことが問題視されるのは、多くの場合においては、児童生徒が画一的学校教育のマニュアル以外にこだわっている場合です。テストの成績への「こだわりが強い」場合には、ほとんど問題視されません。
しかし、人が何にこだわるかは、ほとんどの場合は必要性を感じているか、あるいは興味関心があるからか、です。そうなると、学習ではなく、他のものにこだわりを抱く児童生徒が現れるのは必然です。
そのこだわりを学校教育のマニュアルを度外視して突き詰めた人々が、プロの個人業として活躍しています。芸能人やプロスポーツ選手として成功するマニュアルは、学校教育の枠内にはなさそうです。
反対に、学校教育のマニュアルにこだわることは、社会の既存の制度において、生きやすくなることにつながります。「おおむね」偏差値が高い大学を出た人たちの方が、「平均」収入が高いことがその証左でしょう。
ですので、もし児童生徒の多様性に細やかに対応できるような態勢が学校教育の場にあれば、それほど「こだわりが強い」ことは問題視されないでしょう。ですが前述したように、日本の学校教育制度はいまだに横並びの画一教育になっています。
私としては、個々の児童生徒が自分自身の「こだわり」を大切にしつつも、学校教育への「
こだわり」も持ってもらいたい、と思っています。
そのために、なぜ学習が大切なのかを丁寧に繰り返し説明するとともに、学習の中の面白さを見つけ出す手助けをして、学習に興味関心を持ってもらう努力を続けたいと思います。
それ以上に、児童生徒が人生の寄り道をしても問題ないような、政府の財政支出と学校教育制度になってもらいたいのですけど…

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